お知らせ

「太平燕(タイピーエン)」発祥の店「中華園」82年の歴史に幕を下ろす

熊本市中心部で約42年間営業してきた「県民百貨店」が28日閉店しました

『テナントとして入っていた、春雨を使った熊本の郷土料理「太平燕(タイピーエン)」発祥の店「中華園」も、82年の歴史に幕を下ろした。午後1時半に客が 900人に達し、材料がなくなり、予定を繰り上げて店を閉めた。「親子3代お世話になりました」と書いたカード付きの花束を持ってくる常連客も。社長の趙 健次さん(73)は「2時間待ったお客さんも『ありがとう』と言ってくれる。こんなにすばらしいフィナーレはない」。』
(画像・記事:YAHOO!ニュースより抜粋)

県民百貨店にある中華園と現社長の趙健次さん
(画像:YAHOO!ニュースより引用)

1933(昭和8)年、中央区花畑町付近で開店
中華園の太平燕は鶏を数時間煮込んだ透き通ったスープに
春雨、白菜、エビ、煮卵などが入ったヘルシーな料理

慶餘さんが故郷の福建省でお祝いの時などに出される
家庭料理をアレンジしたのが始まりといい、
健次さんは「父の故郷への思いと、熊本の恵まれた水からできた料理」と話す。

慶餘さんは16歳で来日し、旧植木町(熊本市北区) 出身の渡辺朝子さんと結婚、
2年後に中華園を開業した。
店は繁盛したが、熊本大空襲などで2度焼け、
中央区上通に移転後も53年の大水害で
1階が水没するなどの困難を乗り越えた。
健次さんは毎日、父親が作る料理を食べて自然に味を覚えた。
済々黌高を卒業後、中国に発電所を作りたいとの夢から
東京の大学で電気工学を学んだが、
中国籍であることを理由に企業への就職を断られ、帰郷。
熊本で生きることを決意し、父と厨房(ちゅうぼう)に立って腕を磨いた。
(記事:YAHOO!ニュースより抜粋)

愛される美味しさに隠された、お父様の故郷への思いと
健次さんの人生の様々な苦難

それらが、このお店に全て最期は美味しさへと形を変えて
熊本のソウルフードとして愛されるまでになっていったのだなぁ
と、感慨深い思いです

今年は終戦70年、何か思いがリンクしました

長い間ご苦労様でした

関連記事